ワイタンギ・デー (年中行事 2月6日)

ワイタンギ・デー
締結日
1840年2月6日
締結場所
ワイタンギ(ニュージーランド北島)
マオリ署名者数
首長50人以上(最終的に約500名)
条文数
全3条
ワイタンギ審判所
1975年設置

英語版とマオリ語版で、肝心の「主権」の意味が食い違っていた——ワイタンギ・デーの根底にあるのは、この歴史的な矛盾です。

1840年2月6日、ニュージーランド北島のワイタンギで、イギリス政府代表のウィリアム・ホブソン大佐と50人以上のマオリ族首長がワイタンギ条約に署名しました。ニュージーランドの建国文書とみなされるこの条約の締結を記念して、毎年2月6日はワイタンギ・デーとして祝われています。

条約は3つの条文で構成されており、英語版の第1条では「マオリはニュージーランドの主権をイギリス国王に譲渡する」と記されています。ところがマオリ語版では「カワナタンガ(行政権・統治権)」という語が用いられており、主権そのものを指す「ランガティラタンガ」とは異なる概念でした。マオリ側の首長たちは、日常的な行政をイギリス側に委ねつつも、土地や文化的財産(タオンガ)を含む固有の権利は保持できると理解していたとされています。

この解釈の溝が、後の歴史に深い傷跡を残しました。条約締結後にヨーロッパからの移民が急増するなかで土地争いが激化し、1860年代にはマオリ戦争に発展。多くのマオリが土地を失い、人口も激減しました。19世紀末には、かつて数十万人いたとも言われるマオリの人口が7万人前後にまで落ち込んでいます。

現代のワイタンギ・デーは、単純な建国祝賀日には収まりきれない行事です。毎年2月6日、ワイタンギの式典会場には首相や閣僚が出席しますが、マオリ側から条約の履行を求める抗議活動や演説が行われることも珍しくありません。ときには首相が式壇でのスピーチを妨げられることもあり、それはこの国が過去と正面から向き合い続けていることの証です。

一方で、和解の歩みも着実に続いています。1975年に設置されたワイタンギ審判所は条約違反の申し立てを審査する機関として機能し、政府はマオリ族と交渉を重ね、土地の返還や補償を進めてきました。マオリ語は英語・ニュージーランド手話とともに公用語に定められており、学校教育や公共サービスでもその使用が広がっています。

ワイタンギの丘に毎年集まる人々の顔には、祝福の笑いと、怒りと、問いかける目線が混じり合います。1840年2月6日に交わされた3条文の条約は、185年以上を経た今も、この国の根底にある問いを照らし続けています。

2月6日のカレンダー情報

六曜 赤口
吉日 神吉日、大明日、天恩日、母倉日
月齢 18.3

2月の二十四節気・雑節

  • 立春(りっしゅん) 2月4日(水)
  • 雨水(うすい) 2月19日(木)
  • 節分(せつぶん) 2月3日(火)