節分 (年中行事 2月3日)
- 起源
- 古代中国の追儺(ついな)が起源
- 日本伝来
- 飛鳥時代に伝来、宮中行事として定着
- 開催日
- 毎年2月3日前後(立春の前日)
- 豆まきの記録
- 南北朝時代の臥雲日件録に記述
- 恵方巻き起源
- 大阪の商人文化が発祥、全国普及は1990年代
「鬼は外、福は内」という声とともに豆をまく行事として知られる節分ですが、この慣習の原型は古代中国の鬼払い儀式にまでさかのぼります。もとは「追儺(ついな)」と呼ばれる宮中行事で、飛鳥時代に日本へ伝わり、奈良・平安時代を経て庶民の間へと広まっていきました。
「節分」という言葉そのものは、「季節を分ける」という意味です。かつては立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日、年に4回ありましたが、一年の始まりにあたる立春がとくに重んじられたため、次第に節分といえば春の節分のみを指すようになりました。現在は毎年2月3日前後にあたります。
豆まきに大豆が使われる理由には二つの説があります。一つは、日本古来の信仰で大豆には「穀霊」と呼ばれる霊力が宿るとされ、なかでも大豆はもっとも粒が大きく強い力を持つと考えられていたこと。もう一つは、「まめ」が「魔滅(まめ)」に通じる、つまり「魔を滅する」という語呂合わせです。炒り大豆にするのは、生のままでは芽が出て「鬼が育つ」ことを避けるためといわれています。
年齢の数だけ豆を食べる習慣も、こうした霊力の考え方に根ざしています。邪気を吸い取った豆を体に取り込むことで、一年の無病息災を願うものです。地域によっては「歳の数+1粒」食べる風習もあり、来年の厄まで払う意味が込められています。南北朝時代の記録『臥雲日件録』にはすでに現在に近い形の豆まきが記されており、室町から江戸にかけて庶民の間で完全に根づいていきました。
現代の節分に欠かせない存在となった恵方巻きは、もともと大阪を中心とした商人文化が起源とされています。その年の縁起のよい方角「恵方」を向いて、黙ったまま太巻きを一本丸ごとかじりきるというユニークな作法が特徴です。全国に広まったのは1990年代以降のことで、コンビニエンスストアが積極的に販売したことで一気に普及しました。節分の日に食べる縁起物は恵方巻き以外にも、イワシの丸焼きや福茶など地域ごとにさまざまです。豆まきで邪気を払い、恵方巻きで福を招く——古来の信仰と近代の食文化が一つの日に交わる節分は、今も日本の冬の終わりを告げる行事として生き続けています。
参考リンク
2月3日の他の記念日
2月3日のカレンダー情報
2月の二十四節気・雑節
- 立春(りっしゅん) 2月4日(水)
- 雨水(うすい) 2月19日(木)
- 節分(せつぶん) 2月3日(火)