新嘗祭 (年中行事 11月23日)

新嘗祭
起源
弥生時代の収穫儀礼に原型。日本書紀に記述あり
中断期間
応仁の乱(1467年)以降、元禄元年(1688年)まで約220年
11月23日への固定
明治6年(1873年)の改暦による
祭祀の場所
神嘉殿(夕御饌の儀・朝御饌の儀の2回)
勤労感謝の日との関係
1948年制定の国民の祝日。同じ11月23日
大嘗祭との違い
天皇即位後初の新嘗祭が大嘗祭(直近:令和元年)

毎年11月23日、宮中の神嘉殿では深夜から翌朝にかけて、天皇が一人で神々と向き合う祭祀が静かに執り行われます。新嘗祭(にいなめさい)。その年に収穫された新穀を天神地祇に捧げ、自らも食する——この儀式は、現代の宮中においてなお変わらず続いています。

新嘗祭の起源は古く、『日本書紀』の神武天皇即位前紀にすでに記述が見られます。弥生時代の収穫儀礼にその原型を求める説もあり、農耕と祭祀が一体だった日本の古代社会を今に伝える行事です。律令制が整備されると国家祭祀として体裁を整えられ、天皇みずから新穀を供えて感謝を奏告するという形が定着しました。儀式は「夕御饌の儀」と「朝御饌の儀」の二度にわたって執り行われ、神饌には米飯、粥、白酒・黒酒のほか、魚類や干物、果物などが並びます。天皇は神に捧げた供え物を「神からの賜りもの」として自らも召し上がる——この「共食」の作法こそが、新嘗祭の本質といえます。

応仁の乱(1467年)以降、朝廷の窮乏により新嘗祭は長らく中断を余儀なくされました。元禄元年(1688年)、霊元上皇の強い意向によって略式ながら再興され、元文5年(1740年)にようやく旧来の形式が復活します。270年以上にわたる中断と復活の歴史は、この祭祀がいかに重んじられてきたかを物語っています。

明治6年(1873年)の改暦により、新嘗祭は新暦11月23日に固定されました。

明治41年(1908年)制定の皇室祭祀令では「大祭」に位置づけられます。戦後の1947年に皇室祭祀令は廃止されましたが、新嘗祭は宮中行事として現在も続いています。

一方、同じ11月23日は「勤労感謝の日」として国民の祝日になっています。1948年に制定されたこの祝日は、新嘗祭と同日に置かれましたが、その趣旨は「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」こととされ、宗教色は排されました。新嘗祭という祭祀の場は宮中に残り、祝日という形で国民の日常に溶け込む——同じ日付に二つの「感謝の文化」が重なっています。

なお、天皇が即位後に初めて行う新嘗祭を「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼びます。一代に一度だけ執り行われる大嘗祭に対し、毎年欠かさず続けられるのが新嘗祭です。令和元年(2019年)に大嘗祭が執り行われたことは記憶に新しいですが、その翌年からはまた通常の新嘗祭に戻り、今年も変わらず神嘉殿に灯りがともされます。

11月23日のカレンダー情報

六曜 赤口
吉日 神吉日
月齢 13.8

11月の二十四節気・雑節

  • 立冬(りっとう) 11月7日(土)
  • 小雪(しょうせつ) 11月22日(日)