東洋の魔女の日 (記念日 10月25日)
- 大会名
- 第4回バレーボール世界選手権(女子)
- 開催地
- モスクワ(旧ソビエト連邦)
- 優勝日
- 1962年(昭和37年)10月25日
- 参加国数
- 14カ国
- 決勝の結果
- 日本 3-1 ソ連(全勝優勝)
- 監督
- 大松博文(ニチボー貝塚)
1962年10月25日、旧ソ連・モスクワで行われた第4回バレーボール世界選手権女子大会の最終日、全日本女子チームはソ連を3-1で下し、全勝優勝を飾りました。14カ国が参加したこの大会で、日本はただの一セットも落とさない圧倒的な強さを示し、世界の頂点に立ちました。その試合ぶりに驚いたヨーロッパのメディアが「東洋の魔女(Witches of the Orient)」と呼んだことが、この呼称の起源とされています。
チームの主力を担ったのは、大阪・貝塚市に本拠を置くニチボー貝塚の選手たちでした。監督の大松博文は、繊維工場に勤める女性社員を指導する立場にあり、過酷なまでの特訓を課したことで知られます。1日6時間以上の練習、床を転げ回る回転レシーブの反復、床スレスレまで落とされたボールを拾う千本ノック形式の守備練習。選手たちは工場での労働を終えた後にもコートに立ち続けました。「東洋の魔女」という言葉には、その超人的な動きへの畏怖が込められていました。
大松監督が磨いた戦術の核心は守備力にありました。柔道の受け身を応用した回転レシーブで、どんな低いボールも拾い上げ、そこから素早い攻撃に転じる。手元でわずかに変化するサーブも相手の守備を崩すうえで絶大な効果を発揮しました。身長では欧州・ソ連の選手に劣る日本が、スピードと組織力で補うスタイルは、当時の世界には前例がなかったものです。モスクワでの世界制覇から2年後の1964年、東京オリンピックでこのチームは再び世界の舞台に立ちます。10月23日の決勝では宿敵ソ連を3-0で退け、金メダルを獲得。日本中がテレビの前に釘付けになった試合の視聴率は66.8%を記録し、日本のテレビ史上でも指折りの数字として残っています。モスクワでの優勝は、その偉業への直接の礎となりました。
「東洋の魔女の日」は10月25日として記念されています。現在も「東洋の魔女」の故郷である大阪府貝塚市には、ニチボー貝塚女子バレーボール部の活動を伝える資料が残り、地域のスポーツ史の一ページとして語り継がれています。昭和の日本が誇った選手たちの奮闘は、半世紀以上を経た今も女子バレーボールの原点として息づいています。
参考リンク
10月25日のカレンダー情報
10月の二十四節気・雑節
- 寒露(かんろ) 10月8日(木)
- 霜降(そうこう) 10月23日(金)
- 秋の土用(どよう) 10月20日(火)