真白き富士の嶺の日 (記念日 1月23日)
1910年(明治43年)1月23日、神奈川県七里ヶ浜の沖合で、逗子開成中学の生徒12名が乗ったボート「箱根丸」が転覆し、全員が帰らぬ人となりました。
その日、生徒たちは葉山・小坪海岸から出航し、江ノ島で昼食をとった後、帆走しながら帰路につきました。しかし七里ヶ浜沖で突風に見舞われ、ボートは転覆。12名は一人も助からず、全員が溺死しました。犠牲者の中には逗子小学校の児童1名も含まれていたとされています。
この遭難は「逗子開成中学ボート遭難事件」として新聞で大きく報じられ、全国に衝撃を与えました。悲報に接した鎌倉女学校の教諭・三角錫子(みすみ すずこ)は、12名の霊を悼む歌詞を書き、賛美歌の旋律に乗せた「七里ヶ浜の哀歌」を作りました。歌い出しの歌詞から「真白き富士の根(嶺)」の名でも広く知られています。
1915年(大正4年)にレコードが発売されると、この歌は全国で愛唱されるようになりました。「真白き富士の嶺 緑の江の島 仰ぎ見るも 恥ずかし 我は生きて 還れる者を」という歌詞は、助からなかった生徒たちへの哀惜と、生き残れなかった無念を代弁するかのような内容で、多くの人の心に響きました。事件から25年後の1935年(昭和10年)には映画「真白き富士の根」が、さらに1954年(昭和29年)には「真白き富士の嶺」が制作されるなど、この悲劇はさまざまな形で後世に伝えられています。
七里ヶ浜の稲村ヶ崎には、遭難した生徒たちを慰霊する碑が建てられており、現在も訪れる人が絶えません。事件から100年以上が経った今もなお、「真白き富士の嶺」の歌は学校や地域行事で歌われ、若い命が失われたこの日の記憶を伝え続けています。