黙阿弥忌 (記念日 1月22日)
「元のもくあみ」という言葉の語源となった人物が、江戸・明治の歌舞伎界を代表する狂言作者・河竹黙阿弥です。1893年(明治26年)のこの日、78歳でその生涯を閉じました。
河竹黙阿弥は1816年(文化13年)、江戸・日本橋に生まれました。本名は吉村芳三郎。1835年(天保6年)、20歳のときに5代目・鶴屋南北の門に入り、初代・勝諺蔵を名乗って狂言作者見習いとしての道を歩み始めます。その後、2代目・河竹新七を襲名して立作者へと昇り詰め、江戸歌舞伎の第一線で活躍しました。
「黙阿弥」という名は、晩年に河竹新七から改名した際につけられたものです。引退の意を示すこの名は、「黙して語らず」の意味と解釈されることが多い一方、「元のもくあみ(元の黙阿弥)」——つまりいつでも現役に戻り得るという含みを持つとも言われています。実際に引退披露後も創作活動を続けたことは、この解釈を裏付けるようでもあります。
黙阿弥の真骨頂は世話物、なかでも盗賊を主人公とした「白浪物」にあります。1862年初演の『青砥稿花紅彩画』(通称「白浪五人男」)は、その代表格として現在も上演され続けています。「知らざあ言って聞かせやしょう」で始まる弁天小僧の名台詞は、歌舞伎ファンならずとも広く知られるところです。ほかにも1856年の『梅雨小袖昔八丈』(髪結新三)、1860年の『三人吉三廓初買』、1875年の『天衣紛上野初花』(河内山)など傑作が相次ぎました。
活歴物・散切物・松羽目物といった明治の新しい演劇形式にも積極的に取り組み、生涯の作品数は360編に及びます。近松門左衛門、鶴屋南北とともに三大歌舞伎作者に数えられる黙阿弥は、江戸の娯楽文化を集大成しながら明治の近代演劇へと橋渡しをした存在でもありました。
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