大寒忌 (記念日 1月21日)
94歳という長寿を全うした里見弴は、1983年(昭和58年)1月21日、芺炎のため静かに世を去りました。その日が二十四節気の「大寒」にあたっていたことから、命日は「大寒忌(だいかんき)」と呼ばれています。
1888年(明治21年)7月14日、神奈川県横浜市に生まれた里見弴の本名は山内英夫。父は官僚・実業家の有島武(ありしま たけし)です。出生直後に養子となって山内姓を名乗りますが、実父母のもとで他の兄弟たちと変わりなく育てられました。その兄弟の中には、小説「カインの末裔」などで知られる小説家・有島武郎(ありしま たけお)と、洋画家・有島生馬(ありしま いくま)がいます。文学と芸術の才気に満ちた兄たちと肩を並べ、里見弴もやがてその世界へと踏み出していきます。
文学への扇を開くきっかけとなったのは、兄・有島武郎の友人であった志賀直哉との出会いです。志賀の強い影響を受けた里見は、学習院高等科を経て東京帝国大学文学部英文科へ進みますが、1909年(明治42年)に中退。翌年、武者小路実笼や志賀直哉らが創刊した文芸誌「白樺」に、二人の兄とともに同人として参加しました。白樺派は人道主義・理想主義を掛けた文学運動であり、里見弴の作風もその精神を色濃く受け継くものとなります。
代表作「多情仏心」(1922~23年)は、里見文学の真髄として今も語り継がれる長編小説です。複雑な男女関係を軸に、人間の心の揺らぎをきめ細かく描いたこの作品には、里見自身の思想である「まごころ哲学」が凝縮されています。大正末期の文壇に登場したこの作品は、当時の読者に広く受け入れられ、作家としての地位を不動のものにしました。その他にも「善心悪心」(1916年)、「安城家の兄弟」(1927年)、「恋ごころ」(1955年)、「極楽とんぼ」(1961年)など、長きにわたって多彩な作品を発表し続けました。
1959年(昭和34年)には文化勲章を受章。明治・大正・昭和という激動の三時代を生き抜き、日本の近代文学を内側から支え続けた里見弴の足跡は、白樺派の歴史とともに文学史に刈まれています。
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