玉の輿の日 (記念日 1月20日)

玉の輿の日

4万円を吹っかけたら、本当に払われてしまった——。1901年(明治34年)、世界周遊中のジョージ・モルガンは京都の祇園で芸妓・お雪(本名:加藤ユキ)に一目惚れした。しかしお雪には京都大学の学生の恋人がいた。執拗に求婚するモルガンを断りきれなくなったお雪は、「では4万円(現在の8億円相当)で身請けしてください」と、到底のまれるはずがないと思いながら答えた。ところがモルガンはその場で承諾したのである。

この騒動が新聞に掲載されると一大スキャンダルとなり、お雪の京大生の恋人は親に発覚して離れていった。行き場を失ったお雪は1904年(明治37年)1月、日本に帰化したイギリス人法律家・小林米珂を媒酌人として横浜領事館でモルガンと結婚した。「日本のシンデレラ」と呼ばれ、国内外で大きな話題を呼んだ。

渡米後、お雪はモルガン家の一員としてニューヨークの上流社会に入ったが、排日感情が強まるなかでアメリカへの帰化は認められなかった。その後夫妻はヨーロッパへ移り、パリの社交界でもお雪は日本人女性として異例の注目を集めた。ジョージとの間に子はなく、1916年(大正5年)頃から夫婦関係は実質的に破綻していたとされる。

ジョージの死後、お雪はフランス人陸軍士官タンダールと生活をともにしたが、1931年(昭和6年)に彼も心臓麻痺で他界した。1938年(昭和13年)、第二次世界大戦の気配が色濃くなるなか、お雪はニースを離れて帰国を決意し、57歳で長崎港に降り立った。晩年のお雪は、京都市北区の大徳寺門前の小さな家にひっそりと暮らした。71歳でカトリックの洗礼を受け、ジョージから受け継いだ遺産の大半を衣笠の教会に寄付した。1963年(昭和38年)、81歳で急性肺炎により死去。彼女の三回忌にあたる1965年、パリ市から姉妹都市・京都市へ「ユキサン」と名付けられた白いバラが贈られた。4万円の冗談から始まった数奇な半生は、一輪の花の名前に刻まれている。