湾岸戦争開戦の日 (記念日 1月17日)
1991年1月17日の深夜、アメリカ軍を主力とする多国籍軍の戦闘機がバグダッドの空に飛来し、イラクへの空爆を開始しました。「砂漠の嵐作戦」と命名されたこの軍事行動は、国連安全保障理事会が定めた期限である1月15日を過ぎてもイラクがクウェートから撤退しなかったことへの回答でした。
発端は1990年8月2日に遡ります。イラクのサダム・フセイン大統領が突如クウェートへ侵攻し、わずか6時間で全土を制圧、8月8日には一方的な併合を宣言しました。石油資源をめぐる利権争いや、イラン・イラク戦争で膨らんだ対クウェート債務が背景にあったとされています。国連安保理は決議660をはじめとする複数の決議で即時撤退を要求しましたが、フセイン政権はこれを無視し続けました。
多国籍軍は30か国以上で構成され、総兵力は68万人に達しました。そのうち54万人がアメリカ軍の将兵であり、参加国にはイギリス、フランスといった西側諸国のほか、サウジアラビア、エジプト、シリアなどアラブ諸国も名を連ねました。クウェートの占領継続という明確な違反行為を前に、冷戦終結後の国際社会が珍しく一致団結した局面でした。
開戦後はまず約6週間にわたる大規模な空爆が続き、イラクの防空システムや通信網、軍事施設が徹底的に破壊されました。2月24日には地上部隊がクウェートへ進攻し、わずか100時間後の28日にはイラク軍が降伏して停戦が成立しました。しかし、停戦は新たな問題を残しました。敗走するイラク軍はクウェートの油井およそ600か所に火を放ち、数百万バレルの原油が海へ流出、消し止めるまでに9か月以上を要しました。国内でのフセイン政権は打倒されることなく存続し、この「未完の戦争」が2003年のイラク戦争へとつながる遠因となりました。
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