禁酒の日 (記念日 1月16日)

禁酒の日

1920年1月16日、アメリカ合衆国でアルコールの製造・販売・輸送を全面的に禁じた「禁酒法(Volstead Act)」が施行されました。世界最大の民主主義国家が、国民の飲酒を法律で禁止するという前代未聞の実験が始まったのです。

その背景には、キリスト教プロテスタント、とりわけ清教徒(ピューリタン)の強い影響がありました。アルコールは家庭崩壊や犯罪の温床とみなされ、19世紀後半から禁酒運動が盛んに展開されます。20世紀初頭にはすでに18の州が独自の禁酒法を施行しており、それがついに連邦レベルで全国一律に広がったのが1920年でした。憲法修正第18条を根拠とするこの法律は、まさに国家の総意として打ち立てられたものでした。

しかし、禁酒法が生んだのは「禁酒」ではなく、その真逆の光景でした。飲酒の需要はいっさい消えず、「スピークイージー」と呼ばれる地下酒場が全米に林立します。ニューヨークだけで推定3万軒以上が営業していたとも言われ、法施行前より酒場の数が増えたという皮肉な結果を招きました。密造酒は品質管理が皆無で、メタノール混入による失明や死亡事故が相次ぎ、かえって国民の健康を脅かすことになりました。

この「禁じられた商品」に目をつけたのが、組織犯罪の世界でした。シカゴを拠点としたアル・カポネは、密造酒の製造・密輸・販売を一手に掌握し、全盛期には年間収益が現代価値で数百億円に達したとも言われます。ギャング組織同士の縄張り争いは熾烈を極め、1929年のバレンタインデーには7人が虐殺された「バレンタインデーの虐殺」が起きるなど、都市部の治安は著しく悪化しました。禁酒法は、皮肉にもアメリカの組織犯罪を育てた「養父」となったのです。

1929年の大恐慌が追い打ちをかけました。アルコール産業の復活は雇用と税収をもたらすという現実的な議論が力を持ち始め、1933年12月5日、フランクリン・ルーズベルト大統領のもとで憲法修正第21条が批准され、禁酒法は13年の歴史に幕を下ろしました。理想を掲げた法律が、社会に深い傷を残して終わった——。禁酒法の時代は、「法律で人の行動は変えられない」という普遍的な教訓として、今も語り継がれています。