善哉忌 (記念日 1月10日)
33歳で逝った作家の名は、今も大阪の下町の匂いと共に語られます。1947年(昭和22年)1月10日、織田作之助は結核により短い生涯を閉じました。代表作『夫婦善哉』(めおとぜんざい)にちなんで「善哉忌」と呼ばれるこの忌日は、大阪が生んだ稀代のストーリーテラーを偲ぶ日です。
1913年(大正2年)、大阪市南区生玉前町(現:天王寺区上汐)に生まれた織田作之助は、生涯を通じて大阪の庶民の暮らしを書き続けました。1938年(昭和13年)のデビュー作『雨』は同郷の先輩作家・武田麟太郎の目に留まり、1940年(昭和15年)に発表した『夫婦善哉』で新進作家としての地位を確立します。大正から昭和にかけての大阪を舞台に、優柔不断な若旦那と気丈な内縁の女が喧嘩しながら寄り添って生きる姿を描いたこの作品は、庶民の悲喜劇を温かく活写した傑作として読み継がれています。
終戦後、太宰治・坂口安吾・石川淳らと共に「無頼派(新戯作派)」と呼ばれ、「織田作(おださく)」の愛称で親しまれました。太宰が内面の痛みや葛藤を赤裸々に刻んだのに対し、織田は大阪の庶民へ柔らかな視線を向けました。放浪する人々、路地裏の喧騒、船場の商家——その筆はつねに生きている人間の体温を捉えていました。『青春の逆説』(1941年)、『土曜夫人』(1946年)など、戦中・戦後の混乱期に次々と作品を発表し続けましたが、1947年1月にその筆は止まります。
33年という短い生涯が残した文学は、大阪という土地と不可分です。「大阪ことばの魔術師」とも評される織田の文章には、標準語では出せない体温と諧謔があります。善哉忌の今日、一杯のぜんざいを前に『夫婦善哉』の一節を手に取ってみるのも、この作家への一つの追悼になるかもしれません。