夕霧忌 (記念日 1月7日)
1678年(延宝6年)11月、大坂・新町の遊廓・扇屋に暮らした遊女・夕霧太夫が没しました。その死は大坂中を深く悲しませたと伝わり、名妓の名をほしいままにした女性の忌日を「夕霧忌」と呼びます。俳句の季語にも採用されており、今日まで文化的な追悼の対象となっています。
夕霧太夫の名が特別な輝きを持つのは、愛人・藤屋伊左衛門との物語が死後も舞台芸術の題材として繰り返し取り上げられてきたからです。近松門左衛門による浄瑠璃『夕霧阿波鳴渡』を皮切りに、浄瑠璃の『廓文章』、歌舞伎の『夕霧名残の正月』『夕霧七年忌』など、枚挙にいとまがありません。これらは「夕霧伊左衛門」または「夕霧」と総称され、江戸時代の観客に広く親しまれました。近松が描いたのは、遊女と馴染み客という関係を超え、身分や金銭に縛られながらも互いを慕い合う人間の情でした。実在の人物をモデルにした作品がこれほど多く生まれたことは、夕霧太夫の死がいかに当時の人々の心を揺さぶったかを示しています。
近松の作品はその後も繰り返し上演され、彼女の存在は江戸文化の記憶に深く刻まれていきました。とりわけ『廓文章』は上方歌舞伎の人気演目として定着し、現代でも上演される機会があります。
現在も、夕霧太夫の墓がある京都・嵯峨の清涼寺では、毎年11月の第2日曜日に「夕霧供養祭」が催されています。本堂での法要に続き、島原太夫による奉納舞、太夫道中、そして墓参が執り行われます。江戸時代から続く遊廓文化の記憶を受け継ぐ島原の太夫たちが、今もなお先人の忌日に向き合っていることは注目に値します。清涼寺は嵐山・嵯峨野エリアにある著名な古刹で、供養祭は一般の見学も可能です。