良寛忌 (記念日 1月6日)

良寛忌

「この里に手まりつきつつ子どもらと遊ぶ春日は暮れずともよし」——生涯を通じて子どもたちと手まりや隠れんぼに興じ、寺を持たず托鉢で生きた禅僧・良寛(りょうかん)の忌日が、旧暦の1月6日にあたる良寛忌です。1831年(天保2年)、74歳でその生涯を閉じました。

良寛は1758年(宝暦8年)、越後国出雲崎(現:新潟県三島郡出雲崎町)の名主の家に生まれます。18歳で出家し、1779年(安永8年)22歳のとき備中玉島(現:岡山県倉敷市)の円通寺へ赴き、国仙和尚を「生涯の師」と定めて曹洞宗の禅を学びました。12年間の修行を経て師の入寂後、諸国行脚の旅に出ます。やがて故郷・越後へ戻り、国上山(くがみやま)中腹の国上寺(こくじょうじ)境内にある粗末な庵「五合庵」に落ち着きます。五合庵の名は、以前ここに住んだ僧が一日に米五合を給されていたことに由来し、わずか数畳ほどの小さな庵でした。良寛はここを拠点に40代から60代の長い年月を過ごし、独自の枯淡な境地を磨いていきます。

托鉢で食をつなぎながら、良寛は村の子どもたちと無心に遊ぶことを日課としました。ある日、泥棒が五合庵に入ったとき、盗めるものが何もなかったため掛け布団だけを持ち去られています。良寛はそれを見て「あの月を盗み忘れていったわい」と笑ったと伝えられます。

書においては、古典の学習を重ねるうちに既存の書法では自身の心情を表せないと感じ、独自の書風を生み出しました。「良寛書」と称されるその筆跡は力みがなく自然体で、現代にいたるまで多くの書家に影響を与え続けています。和歌・漢詩・書のいずれも、師の教えや仏典に依拠しつつ、良寛自身の生きた言葉として表現されている点が特徴です。

晩年、良寛は島崎村(現:新潟県長岡市)の木村元右衛門宅に身を寄せ、弟子の貞心尼(ていしんに)と出会います。貞心尼は良寛の最期を看取り、二人の間で交わされた和歌の数々を『蓮の露』に記録しました。良寛が辞世として詠んだ「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」は、飾りのない生涯そのものを映すかのような一首として知られています。