夾竹桃忌 (記念日 1月2日)
「最後の無頼派」と称された小説家・檀一雄(だん かずお)が1976年(昭和51年)1月2日に亡くなって以来、その忌日は「夾竹桃忌(きょうちくとうき)」と呼ばれています。生前に夾竹桃の花を愛したことにちなんだ命名です。夾竹桃はインド原産でキョウチクトウ科の常緑低木。中国を経て江戸時代に日本へ伝わり、葉が竹に、花が桃に似ているためこの名がついたとされています。
檀一雄は1912年(明治45年)、山梨県南都留郡谷村町(現:都留市)に生まれました。幼少期に父の故郷である福岡県柳川へ移り、東京帝国大学経済学部在学中に同人誌『新人』を創刊してデビュー。太宰治と親交を結び、詩人・小説家の佐藤春夫に師事します。1937年(昭和12年)に刊行した青春小説『花筐(はながたみ)』は初期の代表作として知られています。
戦後の1951年(昭和26年)、長編小説『長恨歌』と『真説石川五右衛門』の2作で第24回直木賞を受賞し、流行作家としての地位を確立します。一方で酒と放浪を繰り返す奔放な生き方が「無頼派」の名を高め、晩年まで書き続けた長編小説『火宅の人(かたくのひと)』は断続的な連載を経て1975年にようやく完成。自身の波乱に満ちた生を素材にした私小説的大作で、没後に第27回読売文学賞小説賞と第8回日本文学大賞を受賞しています。料理への情熱も作家活動と並走しました。エッセイ集『檀流クッキング』(1970年)は豪快な料理哲学が詰まった一冊として、料理好きの間で現在も根強く読まれています。長女は女優の檀ふみ、長男はエッセイストの檀太郎(だん たろう)。文才は家族へも受け継がれています。
亡くなる前の晩年、檀一雄は福岡市の能古島(のこのしま)に居を構えました。1977年(昭和52年)、その島に文学碑が建てられ、辞世の句「モガリ笛 幾夜もがらせ 花二逢はん」が刻まれています。毎年5月の第3日曜日には碑の前で「花逢忌(かほうき)」が営まれ、故郷・柳川の福厳寺(ふくごんじ)には墓が建てられています。