有無の日 (記念日 5月25日)
967年5月25日、平安時代中期の第62代天皇・村上天皇が崩御しました。その忌日にちなむのが「有無の日」です。「有無」は「ゆうむ」ではなく「ありなし」と読みます。急な事件のほかは政治を行わなかったという、村上天皇の治世のスタイルがそのまま記念日の名となりました。記念日を制定した団体や目的は定かではなく、日本記念日協会にも登録されていない、出自の謎めいた記念日です。
村上天皇は名を成明(なりあきら)といい、926年(延長4年)、第60代醍醐天皇の第十四皇子として生まれました。母は藤原基経の娘で、中宮・藤原穏子(ふじわらのおんし)です。946年(天暦元年)、兄にあたる第61代朱雀天皇が譲位したことで践祚し、天皇の位を継ぎました。在位は21年にわたります。治世は「天暦の治」と称されます。摂政・関白を置かずに天皇が親政を行った、父・醍醐天皇の「延喜の治」とともに、後世から理想の治世として並び称された時代です。ただし「急な事件のほかは政治を行わなかった」という「有無の日」の由来は、必ずしも勤勉な政治家像とは一致しません。天皇は和歌や音楽など宮廷文化を深く愛好しており、政務よりも文化の場で際立った存在感を示していました。
951年(天暦5年)には梨壺(なしつぼ)に和歌所を設け、当時の優れた歌人たちを集めました。大中臣能宣・清原元輔・源順・紀時文・坂上望城の5人が選ばれ「梨壺の五人」と呼ばれます。彼らが編纂したのが『後撰和歌集』で、『古今和歌集』に次ぐ第二番目の勅撰和歌集です。村上天皇自身も優れた歌人として知られ、百人一首にもその御製が収められています。
967年(康保4年)5月25日、村上天皇は42歳で崩御しました。後継の第63代冷泉天皇は、藤原師輔の娘・安子との間に生まれた皇子です。村上天皇の崩御後、しばらくして摂関政治が本格的に再開され、藤原氏が政権を掌握する時代へと移行していきます。摂関を置かなかった天皇の治世が、結果として摂関政治の全盛期を準備することになったのは、歴史の皮肉といえるかもしれません。