井泉水忌 (記念日 5月20日)
尾崎放哉と種田山頭火、この二人の自由律俳句の名手を世に送り出したのが、俳人・荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)です。1976年(昭和51年)3月2日、脳血栓のため鎌倉の自宅で91歳の生涯を閉じました。今日はその忌日にあたります。井泉水は1884年(明治17年)6月16日、東京府芝区浜松町(現在の東京都港区浜松町)に生まれました。本名は藤吉(とうきち)。雑貨商「新田屋」の次男として育ち、東京帝国大学言語学科を卒業後、俳句の世界へと進みます。最初に影響を受けたのは河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)の新傾向俳句運動でした。この運動は従来の定型・季語の縛りを緩め、写実と個性を重んじる方向を打ち出したもので、井泉水はその担い手の一人として頭角を現しました。
1911年(明治44年)、井泉水は俳誌『層雲』を創刊します。やがて碧梧桐らと袂を分かち、季題にとらわれず、感動をそのままの自由なリズムで書きとめる「自由律俳句」を強く主張するようになります。五七五の定型も季語も持たない俳句という試みは当時の俳壇に大きな波紋を投げかけましたが、『層雲』を拠点に確固たる流れを築いていきました。
『層雲』の門下からは傑出した俳人が育ちました。孤独な漂泊の生を詠み続けた尾崎放哉、全国を托鉢行脚しながら句を詠んだ種田山頭火、いずれも自由律俳句を代表する存在です。二人の才能を見出し、世に送り出した点だけをとっても、井泉水が近代俳句史に残した足跡の大きさがわかります。
晩年には、自由律の俳人としては唯一の日本芸術院会員に選ばれています(1965年・昭和40年)。著作も多彩で、句集『皆愁悔』(1928年)・『原泉』(1960年)・『長流』(1964年)のほか、評論『旅人芭蕉』(1923年)や『奥の細道』(1933年)など、俳句・俳論の両面で業績を積み重ねました。墓は港区六本木の妙像寺にあります。
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