「信濃の国」県歌制定の日 (記念日 5月20日)

「信濃の国」県歌制定の日

「長野県民のほとんどが歌える」と言われる県歌が誕生したのは、1968年(昭和43年)5月20日のことです。この日、「信濃の国」が正式に長野県の県歌として制定されました。5月20日は「『信濃の国』県歌制定の日」として、2018年(平成30年)に一般社団法人・日本記念日協会に認定・登録された記念日です。制定50周年を機に、これからも長く歌い継いでいくことを目的として定められました。

「信濃の国」の原点は、明治時代にさかのぼります。当時、日清戦争の影響が教育の場にも及んでいたことを懸念した信濃教育会が、戦争とは離れたテーマの教材を作ることを目的として、長野県師範学校の教諭に作成を依頼しました。こうして誕生したのが「地理歴史唱歌」6作品の1つとしての「信濃の国」です。作詞は師範学校教諭の浅井洌(きよし)、作曲は同じく教諭の北村季晴(すえはる)が担い、1900年(明治33年)に師範学校の運動会で初めて披露されました。

初披露からの普及経路が、この歌の特徴的な点です。師範学校の卒業生たちが県内各地の学校に赴任し、生徒に「信濃の国」を教えたことで、歌は長野県全体へと広がっていきました。学校教育を通じた伝播は世代を超えて続き、親から子へ、子から孫へと受け継がれました。県歌制定の直接のきっかけは、1966年(昭和41年)に長野県が県章やシンボルの制定作業を進めた際に生まれました。このタイミングで「信濃の国」を県民意識の高揚のために県歌に制定してはどうかという機運が盛り上がり、2年後の1968年5月20日に正式な制定へと至りました。この歌が選ばれた背景には、すでに多くの県民が歌えるほどに定着していたという事実がありました。

歌詞は全6番から成り、信濃の国(長野県)の地理・自然・産業・人物を幅広く詠んでいます。仁科五郎信盛や木曾義仲など歴史上の人物、木曾川・天竜川・犀川・千曲川といった河川、浅間山・霧ヶ峰・駒ヶ岳などの山岳が歌詞の中に登場します。地理と歴史を織り交ぜた「地理歴史唱歌」としての性格が、長野県民のアイデンティティと強く結びつく要因の一つとなっています。制定から半世紀を超えた現在も、長野県出身者が集まる場でこの歌が歌われる光景は珍しくありません。