小諸・山頭火の日 (記念日 5月19日)

小諸・山頭火の日

「分け入っても分け入っても青い山」——どこまで歩いても山が続くという、放浪の俳人・種田山頭火(たねだ さんとうか)の代表句は、五・七・五の定型を持たない自由律俳句でありながら、読む者の胸に深く刻まれる力を持っています。その山頭火が1936年(昭和11年)5月19日に立ち寄った長野県小諸市の温泉宿・中棚鉱泉(現在の中棚荘)が制定したのが「小諸・山頭火の日」です。山頭火はこの日の日記に「熱い湯に入れて酒が飲めるのがいい」と記しており、漂泊の旅の中のひとときの安らぎが伝わってきます。

山頭火は1882年(明治15年)、山口県佐波郡西佐波令村(現:防府市)に大地主・種田家の長男として生まれました。恵まれた出自でしたが、11歳のときに母が投身自殺するという深い傷を負います。早稲田大学文学部に入学しましたが神経衰弱のために中退し、家業の酒造場も父親の放蕩が重なって破産に追い込まれました。その後も転居と転職を繰り返し、1916年には荻原井泉水が主宰する俳句雑誌「層雲」に参加。自由律俳句の世界へと踏み込んでいきます。

放浪の旅が本格的に始まったのは1926年(大正15年)のことです。泥酔して市電の前に立ちはだかるという事件をきっかけに禅僧として出家した山頭火は、托鉢の笠をかぶり鉄鉢を手に、43歳にして全国行脚の生活に入りました。「うしろすがたのしぐれてゆくか」「まっすぐな道でさみしい」といった句には、ひとりで歩き続ける孤独と静けさが滲み出ています。日々の托鉢と移動、そして酒を記した膨大な日記「行乞記(ぎょうこつき)」は、漂白の記録として今も読み継がれています。

中棚荘は、明治の文豪・島崎藤村がたびたび訪れたことでも知られる宿です。1898年(明治31年)に開業したこの宿に、山頭火が泊まったのは昭和11年のこと。藤村ゆかりの宿に山頭火の句碑も建てられている事実は、小諸という土地が文学者を引き寄せてきた場所であることを物語っています。湯と酒を喜んだ一文を遺した山頭火の姿は、苦難続きの生涯の中でも、日常の小さな喜びを句に変え続けた俳人の本質を映しているようです。山頭火は1940年(昭和15年)10月、愛媛県松山市で心臓麻痺により58歳で亡くなりました。生前「ころり往生」を望んでいたといい、その通りの最期でした。五・七・五の枠を外し、感じたままを言葉にした自由律俳句は、「昭和の芭蕉」とも呼ばれる山頭火の代名詞となっています。型に収まらない生き方そのものが、そのまま俳句の形式となった——そう感じさせる俳人です。