梶葉忌 (記念日 5月11日)
1975年5月11日早朝、梶山季之は香港のマンダリンホテルで食道静脈瘤破裂と肝硬変のため、44歳で急逝しました。僧侶でもある小説家の今東光が「文麗院梶葉浄心大居士」という戒名を命名し、その戒名に含まれる「梶葉」から「梶葉忌(かじのはき)」と呼ばれるようになりました。毎年5月11日の忌日には編集者や多くの関係者が集まり、梶山を偲ぶ会が催されてきました。梶山季之は1930年(昭和5年)1月2日、朝鮮総督府に勤務する父のもと、朝鮮の京城(現:ソウル)で生まれました。広島高等師範学校(現:広島大学)国語科を卒業後、上京して第15次『新思潮』に参加。その後ルポライターへ転身し、『週刊文春』の巻頭を飾る記事を書く「トップ屋」として頭角を現しました。
1962年(昭和37年)、産業スパイの非情さを描いた小説『黒の試走車』で文壇デビューを果たします。高度成長期の企業社会を鋭く切り取ったこの作品は大きな反響を呼びました。翌1963年(昭和38年)には『李朝残影』で直木賞候補となり、さらに1964年(昭和39年)には同作が美空ひばり主演でテレビドラマ化されるなど、幅広い読者層に作品が届きました。推理小説・風俗小説・政治小説と多彩なジャンルをこなしながら、旺盛な執筆活動を続けました。
梶山の作品の根底には、朝鮮で生まれ育った経験が色濃く流れています。戦後の高度成長期という時代と、自らの複雑な出自とが交差するところに、他の作家とは異なる視点が生まれました。44歳という若さでの死は、当時の文壇関係者に深い衝撃を与えました。広島大学には梶山季之関係文書が所蔵されており、その仕事と生涯は今も研究対象となっています。