春夫忌 (記念日 5月6日)

春夫忌

1964年(昭和39年)5月6日、詩人・小説家の佐藤春夫が東京都文京区関口の自宅で心筋梗塞により死去しました。72歳。この日は「春夫忌」または「春日忌」と呼ばれ、大正から昭和にかけて詩と小説の両領域で活躍した文学者の命日として記されています。

1892年(明治25年)、現在の和歌山県新宮市に生まれました。生家は代々の医家で、父・豊太郎(号は鏡水)は医師でありながら正岡子規に私淑した文人でもありました。慶應義塾大学文学部を中退後、生田長江・与謝野鉄幹らに師事し、文芸雑誌『三田文学』『スバル』へ詩を発表します。これらの作品は後に1921年(大正10年)の第一詩集『情詩集』にまとめられ、大正期を代表する抒情詩集のひとつとして評価されています。

詩人としての出発を経て散文詩的な質感を持つ小説へと創作の幅を広げ、幻想色の強い短編『西班牙(スペイン)犬の家』に続き、1919年(大正8年)に刊行した『田園の憂鬱』が文壇の注目を集めます。その後も『都会の憂鬱』(1922年)、中国を舞台にした怪異譚『女誡扇綺譚(じょかいせんきたん)』(1925年)、詩文集『李太白(りたいはく)』(1924年)、評論・随筆集『退屈読本』(1926年)と、小説・詩・評論にわたる多彩な著作を次々に発表しました。晩年の小説『晶子曼陀羅(あきこまんだらら)』(1954年)では歌人・与謝野晶子の生涯を題材に取り上げています。

1948年(昭和23年)に日本芸術院会員、1960年(昭和35年)に文化勲章を受章。没年である1964年の東京オリンピック開会式では、前年に作詞した「オリンピック東京大賛歌」が歌われました。文学者として活動の総括がなされた年に、その人生が閉じられたことになります。墓地は京都・知恩院にあります。

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