荷風忌 (記念日 4月30日)

荷風忌

1959年(昭和34年)4月30日未明、小説家・永井荷風(本名・壮吉)は市川市の自宅で胃潰瘍の吐血による窒息死という最期を遂げました。享年79歳。荷風忌はその命日を指し、毎年4月30日に東京都荒川区南千住の浄閑寺で法要が営まれます。

浄閑寺は江戸時代から吉原の遊女たちが葬られてきた寺で、「投げ込み寺」とも呼ばれます。荷風は生前、「自分が死んだら浄閑寺に葬ってほしい」と語るほど、この寺と遊女たちの歴史に深い思いを寄せていました。その願いは叶わず、遺体は雑司ヶ谷霊園の父・久一郎の墓に埋葬されましたが、没後4年目の1963年(昭和38年)、谷崎潤一郎ら荷風を慕う文人たちの手によって、浄閑寺境内に筆塚と詩碑が建てられました。詩碑には荷風が自らを「明治の兒」と記した一句が刻まれています。

永井荷風は1879年(明治12年)12月3日、現在の東京都文京区春日に生まれました。父・久一郎はプリンストン大学やボストン大学に留学したエリート官僚、母・恒は儒者・鷹津毅堂の次女という知識人の家庭に育ちます。官立高等商業学校附属外国語学校(現・東京外国語大学)清語科を中退後、広津柳浪に師事。フランスの小説家エミール・ゾラの影響を受け、1902年(明治35年)に発表した『地獄の花』が森鴎外に絶賛され、文壇への第一歩を踏み出しました。

その後アメリカ・フランスへの外遊を経て、帰国後に『あめりか物語』(1908年)、『ふらんす物語』(1909年)、『すみだ川』(1911年)を発表し、耽美派の旗手として知られるようになります。1910年(明治43年)には森鴎外と上田敏の推薦で慶應義塾大学文学部主任教授に就任し、雑誌『三田文学』を創刊。『腕くらべ』(1918年)では花柳界の風俗を鮮やかに描きました。代表作には小説『濹東綺譚』(1937年)、訳詩集『珊瑚集』(1913年)、42年にわたって書き続けた日記『断腸亭日乗』などがあります。

1952年(昭和27年)に文化勲章を受章、1954年には日本芸術院会員に選出されました。別号の「断腸亭主人」は自邸に名付けた「断腸亭」に由来し、その日記タイトルにもなっています。浄閑寺の筆塚は現在も参拝できます。