チャップリンデー (記念日 4月16日)
「笑い」と「貧困」を同時に背負って生まれた人物が、映画史上最も偉大な喜劇王と呼ばれるようになりました。チャールズ・チャップリンは1889年4月16日、ロンドン南部の貧しい街で生まれました。両親はともにミュージックホールの芸人でしたが、父は早世し、母は精神を病みました。チャップリンは幼少期に救貧院を出入りし、兄と二人で新聞売りや靴磨きをしながら食いつないでいました。この原体験が、後に彼が生み出す「哀愁を帯びた笑い」の源泉となります。
19歳のとき、名門コメディ劇団フレッド・カーノー一座に加わり、アメリカ巡業中に映画会社キーストンにスカウトされます。1914年の映画デビューからわずか数年で、山高帽・燕尾服・ステッキ・大きな靴という「放浪者チャーリー」のキャラクターを確立し、世界中の観客を虜にしました。このキャラクターは言葉を一切使わないにもかかわらず、全感情を観客に伝える表現力を持っていました。
1921年の『キッド』で孤児の少年との交流を描き、喜劇に深い情感を持ち込みました。1925年の『黄金狂時代』では凍てついたアラスカの雪山を舞台に、靴を調理して食べる場面が世界的に有名になりました。1936年の『モダン・タイムス』では大量生産の工場労働を題材に、産業化が人間性を奪っていく様子を笑いの形で鋭く描きました。いずれもセリフに頼らず、身体と表情だけで語りきる演出は、トーキー全盛の時代になっても変わりませんでした。
1940年に公開した『独裁者』は、チャップリンの映画人生における最大の政治的発言でした。アドルフ・ヒトラーを痛烈に風刺したこの作品は、チャップリン初の本格的なトーキー映画でもあります。両者は1889年4月に生まれた同い年で、チャップリンが4日早く、口ひげのスタイルが似ているという偶然が、風刺の説得力をさらに高めました。晩年は赤狩りの嵐の中で反米的とみなされ、1952年にアメリカへの再入国を拒否されます。以後はスイスに移住し、1977年12月25日、クリスマスの朝に88歳で亡くなりました。同じ時代に活躍したバスター・キートン、ハロルド・ロイドとともに「世界の三大喜劇王」と並び称されますが、監督・脚本・音楽まで一人で手がけた多才さは群を抜いていました。4月16日はその誕生日を記念して「チャップリンデー」と呼ばれています。