国分寺ペンシルロケット記念日 (記念日 4月12日)

国分寺ペンシルロケット記念日

全長わずか23センチ。鉛筆ほどの大きさのロケットが、1955年(昭和30年)4月12日、東京都国分寺の廃工場跡にある銃器試射用のピットから水平に発射されました。これが日本初のペンシルロケット水平発射実験です。戦後10年、焼け跡の記憶がまだ色濃く残る時代に、のちに「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫博士が、ここ国分寺の地から日本の宇宙開発の歴史を静かに動かしました。

ペンシルロケットは、ロケット推進の基礎研究を目的として東京大学生産技術研究所で開発されました。その名の由来はまさに形そのもの。細長く鉛筆を思わせるシルエットから、研究チームがこの愛称をつけました。1955年の水平発射実験では全長230mmのロケットが使用され、長さ1.5メートルの発射台から飛び出したロケットがスクリーンを貫いて飛翔しました。同年3月11日から23日にかけてすでに29機が発射されており、4月12日の実験はその集大成となる節目でした。

発射実験が行われた場所は、現在の国分寺市内にある早稲田実業学校のテニスコート付近にあたります。廃工場の試射ピットという無骨な舞台から始まった日本の宇宙開発は、同年8月には秋田県道川での斜め発射実験へと発展し、やがてラムダロケット、ミューロケットへと系譜をつないでいきます。その出発点が国分寺だったという事実は、長らく地域の誇りとして語り継がれてきました。

開発者の糸川英夫(1912〜1999年)は航空工学・宇宙工学の専門家です。戦時中は零式艦上戦闘機の設計にも携わった経歴を持ち、戦後は一転してロケット研究へと軸足を移しました。のちに小惑星探査機「はやぶさ」が訪れた小惑星「イトカワ」は、その功績をたたえて命名されたものです。一人の工学者の情熱が、半世紀以上を経て宇宙空間に名を刻むことになりました。国分寺市は「日本の宇宙開発発祥の地」としてこの歴史をまちの魅力に位置づけ、2018年(平成30年)に一般社団法人日本記念日協会へ記念日の申請を行い、認定・登録されました。毎年この日には、ペンシルロケットのペーパークラフト工作教室や天体望遠鏡操作体験など、子どもから大人まで参加できる記念イベントが開催されます。会場では「国分寺×宇宙」をテーマにした展示も行われ、70年前にこの地で起きた小さな発射が、いかに大きな歴史の扉を開いたかを伝えています。