隠元忌 (記念日 4月3日)

隠元忌

インゲン豆の名称の由来として知られる隠元隆琦(いんげんりゅうき)は、1592年(万暦20年)に中国・福建省福清県に生まれた禅僧です。江戸時代前期に来日し、黄檗宗の開祖として日本の仏教史に大きな足跡を残しました。その忌日は1673年(寛文13年)5月20日。毎年この日に黄檗山萬福寺では法要が営まれます。

隠元が日本の地を踏んだのは1654年(承応3年)、63歳のときです。中国・黄檗山萬福寺の住持であった彼のもとに届いた招請に応じ、多くの弟子を率いて渡海しました。当初は3年での帰国を予定していましたが、4代将軍・徳川家綱の強い要望により滞在を延長。1660年(万治3年)には宇治に寺地を賜り、翌年、故郷の寺と同名の黄檗山萬福寺を開創します。

隠元が伝えた禅は「明禅」と呼ばれ、当時の中国明朝の様式をそのまま色濃く残すものでした。念仏と禅を組み合わせた「禅密双修」の作法、陀羅尼を唱える修行形態など、それまでの日本の臨済宗・曹洞宗とは一線を画す独自の威儀を持ちます。この新風は江戸期の禅宗界に衝撃を与え、両宗の戒律復興運動を促す触媒にもなりました。宗教以外の面でも、隠元が日本にもたらした影響は多岐にわたります。明代の書道・建築・彫刻・音楽・印刷術など当時の中国文物を広く伝え、日本文化に新たな層を加えました。なかでも煎茶の喫茶作法を広めたことは重要で、後に隠元は日本における煎茶道の開祖と仰がれています。また、来日の際に持参したとされるインゲン豆は、その名に隠元の名を今に伝えています。

1673年(寛文13年)、隠元は黄檗山萬福寺において82歳で入寂しました。朝廷からは「真空禅師」の号を、後に「華光禅師」など追諡を重ねられています。宇治の萬福寺はその後も黄檗宗の総本山として現在に至り、境内の伽藍は創建当時の明朝様式を色鮮やかに留めています。