いんげん豆の日 (記念日 4月3日)

いんげん豆の日

いんげん豆という名前が、一人の中国人僧侶の名前に由来することをご存じでしょうか。江戸時代初期に来日した隠元禅師が精進料理の食材としてこの豆を広めたことから、人々は感謝を込めてその名をそのまま豆に冠しました。

隠元禅師は1594年に中国・福建省で生まれた臨済宗の禅僧で、明代を代表する高僧として知られていました。1654年(承応3年)、63歳のときに20名の弟子とともに長崎の興福寺へ招かれ来日します。その高名と人柄は江戸幕府にも届き、4代将軍・徳川家綱の厚遇を受けました。幕府の援助のもと、1661年(寛文元年)に京都・宇治の地へ、自身がかつて住持を務めた中国・福建省の黄檗山萬福寺と同じ名の寺院を創建。翌1662年には「黄檗宗」を開宗し、日本の禅宗に臨済・曹洞に次ぐ第三の宗派が誕生しました。

いんげん豆を日本に広めたのも、この萬福寺における修行生活と深く結びついています。隠元禅師は普茶料理(ふちゃりょうり)と呼ばれる中国式の精進料理を日本へ伝え、いんげん豆はその重要な食材として寺院から各地へ普及していきました。普茶料理は動物性食材を一切使わないにもかかわらず、ごま油や湯葉を巧みに用いた豊かな味わいで、当時の貴族や武士にも広く受け入れられました。

萬福寺は現在も宇治市に現存し、中国・明朝様式の伽藍をほぼそのままの姿で伝える貴重な建築として国の重要文化財に指定されています。境内を訪れると、いんげん豆の名前の由来となった禅師が生きた時代の空気を肌で感じることができます。

「いんげん豆の日」は2016年(平成28年)に一般社団法人・日本豆類協会が制定した記念日で、日付は隠元禅師が1673年(延宝元年)4月3日に亡くなったことにちなんでいます。来日からおよそ19年、81歳で没するまで日本の地で禅の教えと中国文化を伝え続けた生涯でした。