風信子忌 (記念日 3月29日)
24歳で世を去った詩人が、死の直前に中原中也賞を受賞する。立原道造(たちはら みちぞう)の短い生涯はそのような劇的な幕切れを迎えました。3月29日は、1939年(昭和14年)に立原道造が結核のため亡くなった忌日「風信子忌(ヒアシンスき)」です。立原は1914年(大正3年)7月30日、現在の東京都中央区東日本橋に生まれました。東京帝国大学工学部建築学科に進み、在学中には建築の奨励賞である辰野賞を3年連続で受賞するという異例の才能を示します。卒業後は建築事務所に設計技師として勤務する一方、詩作の世界でも堀辰雄・室生犀星に師事し、堀の主宰する詩雑誌『四季』の同人として活躍しました。
「風信子忌」という名は、立原自身がギリシャ神話のヒアシンス伝説に深く心を寄せ、自らの詩集を「風信子叢書」と名付けていたことに由来します。ギリシャ神話においてヒアシンスは太陽神アポロンに愛された美少年で、早逝した後に花へと変えられた存在です。若くして逝った詩人の忌日にこの名が選ばれたのは、その生涯と重なるものがあるからかもしれません。
1937年(昭和12年)、立原は詩集『萱草(わすれぐさ)に寄す』と『黄昏の詩』を相次いで刊行しました。ソネット(14行詩)形式を基本としながら、優美で繊細な音楽的響きを持つ詩風は四季派の抒情詩を代表するものとして評価されています。詩以外にも短歌・俳句・物語・パステル画・スケッチ・建築設計図など、多岐にわたる作品を残しました。
1939年(昭和14年)に第1回中原中也賞を受賞しましたが、その直後に結核のため24歳で死去しました。没後、詩集『優しき歌』や『立原道造全集』が刊行され、その業績は広く知られるようになります。建築と詩作という二つの領域で卓越した才能を発揮しながら、わずか24年という生涯を終えた立原道造の忌日は、春まだ浅い3月に静かに置かれています。
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