蓮如忌 (記念日 3月25日)
室町時代、衰退しきっていた本願寺をひとりの僧が蘇らせました。蓮如(れんにょ)上人。浄土真宗の歴史において「本願寺中興の祖」と呼ばれるこの人物の忌日が、3月25日です。1499年(明応8年)のこの日、蓮如は山科本願寺にて85歳の生涯を閉じました。
蓮如は1415年(応永22年)2月25日、京都・東山の大谷本願寺(現・知恩院塔頭 崇泰院)に生まれました。父は本願寺第7世・存如(ぞんにょ)。幼名は布袋丸、院号は信証院、諱(いみな)は兼寿といいます。17歳のとき青蓮院(しょうれんいん)で得度し、大谷の草庵で宗義をきわめました。1447年(文安4年)には関東へ下向し、開祖・親鸞(しんらん)ゆかりの地を巡拝しています。
父・存如の死去を受けて1457年(長禄元年)に本願寺第8世を継いだとき、本願寺はまだ青蓮院の末寺に過ぎませんでした。親鸞の教えを受け継ぐ門徒の数も少なく、教団としての基盤は脆弱でした。そこから蓮如がとった戦略は、難解な教義を日常の言葉で語り直すことでした。
蓮如が著した短い手紙形式の文章「御文(おふみ)」は、その象徴です。浄土真宗の要義をわかりやすく綴ったこの文章は、門徒のあいだで広く読まれ、教団拡大の大きな力となりました。東本願寺では「おふみ」、西本願寺では「ごぶんしょう(御文章)」と呼び名が異なり、現在も法要の場で読まれ続けています。
1471年(文明3年)には越前の吉崎に道場を設け、北陸一帯の教化に注力しました。1496年(明応5年)には大坂に石山別院を営みます。後の石山本願寺、さらには大阪城の前身とも語られる地です。精力的に各地を巡りながら、蓮如は現在の本願寺派・大谷派という二大教団の礎を築いていきました。
蓮如の忌日にあたるこの日、東本願寺・西本願寺では毎年法要が営まれます。諡号「恵灯大師」の名のとおり、教えの灯は今も受け継がれています。