ドラマチック・デー (記念日 3月25日)
1956年(昭和31年)のこの日、後楽園球場は静まり返っていました。巨人は9安打を放ちながら中日先発・大矢根博臣に完璧に封じ込められ、杉山悟の本塁打などで0対3と敗色濃厚。迎えた9回裏、最後の攻撃が始まりました。無死一・二塁の場面で、中日ベンチはエース・杉下茂をリリーフに投入します。ここから試合は思わぬ展開をたどります。広岡達朗の当たりはダブルプレーかと思われましたが、野手がファンブルして満塁。続く藤尾茂が三振に倒れ、1死満塁となりました。
次打者は投手の義原武敏。水原茂監督は代打に橘高一夫(ひがさ かずお)を送りました。「杉下は必ず直球で勝負する」と読んでいた橘高は、第3球目の内角高めのストレートを振り抜きます。打球は左中間スタンドへ――日本プロ野球史上初の「代打逆転サヨナラ満塁本塁打」でした。スコアは4対3。ホームインした橘高をナインが胴上げで迎え、後楽園球場は一気に興奮の渦に包まれました。
橘高一夫は1920年(大正9年)生まれ。現役引退後は巨人のコーチとして後進の指導にあたり、球団の発展を支え続けました。この一打が彼の名を野球史に刻むこととなり、2007年(平成19年)に87歳で世を去るまで、あの夜の本塁打は語り草として周囲から何度も問われ続けたといいます。後楽園球場は1988年(昭和63年)に閉場し、現在の東京ドームへとその役割を引き継ぎました。1934年の開場以来、数多くの名勝負と歴史的場面を生み出してきた球場であり、この「ドラマチック・デー」の一打もその輝かしい記憶のひとつに数えられています。
「代打逆転サヨナラ満塁本塁打」はその後も稀に記録され、2011年(平成23年)シーズン終了までに橘高を含めて8例が達成されています。プロ野球の長い歴史の中でも8例という希少さが、この本塁打の価値をさらに際立たせています。一球が試合の流れをすべてひっくり返す瞬間――それがこの記念日「ドラマチック・デー」の名の由来です。
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