壇ノ浦の戦いの日 (記念日 3月24日)
1185年3月24日、平家は壇ノ浦に沈みました。
長門国赤間関――現在の山口県下関市壇ノ浦で、源平合戦の最終決戦が繰り広げられました。平清盛の死から4年、平家は都を追われ、一門を挙げて西国へ落ち延びながら抗戦を続けてきましたが、この日をもってその命脈は完全に断たれました。潮流を知り尽くした平氏は序盤こそ優勢でしたが、源義経が水手・梶取りを集中的に射るよう命じると形勢は一変。船の操作を担う者たちを次々と討ち取られた平氏の船団は統率を失い、戦線は急速に崩壊していきます。
敗北を悟った二位尼(平時子)は、孫にあたる安徳天皇を抱きかかえ、「波の下にも都がございます」と語りかけながら海へ身を投じました。このとき安徳天皇はわずか8歳。三種の神器のうち草薙剣はこの入水とともに失われ、今日に至るまで発見されていません。総大将・平宗盛は入水を試みるも源氏方に捕らえられ、後に処刑されました。壇ノ浦は平家滅亡の地として、日本史に深く刻まれています。
この海戦は治承・寿永の乱(源平合戦)の終結を意味し、1180年に始まった約6年間に渡る大規模な内乱に一応の幕を引きました。同年、源頼朝は鎌倉に武家政権を樹立。北条時政・義時らを中心とする坂東武士団が政権を支え、後の鎌倉幕府の礎となります。公家政権から武家政権へという日本の政治構造の転換点は、まさにこの壇ノ浦の波濤の上で決まったといえます。
下関市には合戦ゆかりの地が複数残されています。赤間神宮は幼くして散った安徳天皇を祀る神社で、境内には平家一門の霊を慰める「七盛塚」があります。また、壇ノ浦に面したみもすそ川公園には壇ノ浦古戦場址碑・安徳帝御入水之処碑が立ち、源義経と平知盛が向き合う像が設置されています。両者が対峙したまさにその場所で、歴史の重さを体感できる場所です。