月斗忌 (記念日 3月17日)

月斗忌

「臨終の庭に鷺鳴きにけり」——この一句を辞世として残した俳人・青木月斗(あおき げっと)の忌日が、3月17日です。1949年(昭和24年)のこの日、肝硬変のため69歳で世を去りました。辞世の句に鷺が詠み込まれていることから、「鷺忌」とも呼ばれています。

月斗は1879年(明治12年)11月20日、大阪・船場の薬種商の家に生まれました。本名は新護(しんご)、別号に月兎(げっと)。商家の跡取りとして家業を担いながら、若いころから俳句に傾倒していきました。その才能を見出したのが正岡子規です。子規は月斗の俳誌創刊にあたって「俳諧の西の奉行や月の秋」という祝句を贈っており、関西における俳句普及の担い手として期待を寄せていました。

1899年(明治32年)、月斗は俳誌『車百合(くるまゆり)』を創刊します。関西俳誌の嚆矢とも評されるこの雑誌を拠点に、大阪満月会・三日月会といった結社を組織し、門人の育成に力を注ぎました。さらに1920年(大正9年)には俳誌『同人』を創刊・主宰。与謝蕪村と正岡子規の系譜を受け継ぐ正統俳句を関西に根づかせることを生涯の使命とし、ついには家業の薬種業を廃して俳句一途の生活に踏み切りました。

著作には子規の名句を詳細に読み解いた『子規名句評釈』があります。生前に自らの句集を編まなかったことは、俳壇では長く語り草になっており、没後の1950年(昭和25年)になってようやく門人たちの手で句集『月斗翁句抄』が刊行されました。句を世に問うよりも、俳句を広め人を育てることに重きを置いた生き方が、そこに表れています。

船場という商人文化の土台から生まれ、子規門下として関西俳壇を牽引した70年の生涯。3月17日は、その足跡を振り返る日となっています。