薔薇忌 (記念日 3月17日)

薔薇忌

太宰治の短編小説『佳日』のモデルとなった人物をご存じでしょうか。その人物こそ、小説家・評論家の塩月赳(しおつき たけし)です。3月17日は、塩月が1948年(昭和23年)に39歳で亡くなった忌日にあたり、その評論集『薔薇の世紀』にちなんで「薔薇忌」と呼ばれています。塩月は1909年(明治42年)1月12日、宮崎県に生まれ、東京帝国大学美学科を卒業後、文学の世界へ進みました。太宰治と親しく交わり、同人誌『海豹』の活動圏に属して文芸誌『浪漫古典』へ作品を発表し、同人誌『散文』を主宰するなど、昭和初期の文壇で着実に存在感を示しました。

文筆活動の傍ら、塩月は「政界往来」誌に勤務し、東洋経済新報社を経て北京へ渡ります。戦時下の中国で過ごした後、戦後に帰国。小説『或る幸福』と評論集『薔薇の世紀』を著しましたが、帰国から間もなく39歳で世を去りました。

太宰治が塩月の結婚に際して身内代わりに奔走した体験は、短編小説『佳日』(1944年)として結実しました。結納の取り次ぎから式の段取りまで尽力する主人公の姿は、二人の親密な交流を今に伝えています。この作品は同年、東宝によって映画化され、『四つの結婚』のタイトルで公開されました。

薔薇忌から3ヶ月後の1948年6月19日、太宰治は玉川上水で入水し、その生涯を閉じています。師と慕った友の死が太宰の最晩年に何らかの影を落としたかどうかは知るよしもありませんが、二人の忌日がわずか3ヶ月のあいだに並ぶ事実は、昭和文学史のひとつの断章として記憶されています。塩月の著作『薔薇の世紀』は小説家としてではなく評論家としての側面を色濃く示す一冊であり、短命ながらも多彩な活動を残した作家の足跡を伝えています。