国民融和日 (記念日 3月14日)
「五箇条の御誓文」が宣布された1868年3月14日を記念日としたのは、明治維新の精神こそが国民融和の礎だという考えからでした。この日を「国民融和日」に定めたのは、1930年(昭和5年)に財団法人・中央融和事業協会です。制定の背景には、近代日本が長く抱えてきた被差別部落の問題があります。
「国民融和日」制定にいたる融和運動の組織的発展は、民間の自発的な動きから始まりました。1914年(大正3年)、板垣退助・大江卓らが日本初の全国規模の融和組織「帝国公道会」を結成します。1921年(大正10年)には東京帝国大学助教授で華族の有馬頼寧が「同愛会」を設立し、1925年(大正14年)には諸団体を統合した「全国融和連盟」が発足しました。同年、内務省社会局の主導によりのちに内閣総理大臣となる平沼騏一郎を初代会長とする「中央融和事業協会」が設立され、運動は政府主導の体制へと移行します。民間有志から官主導へというこの流れが、1930年の「国民融和日」制定という形で結実しました。
「国民融和日」を中心とする3月11日から17日の一週間は「国民融和週間」と位置づけられ、差別解消への理解を深めるための集会・講演などが各地で開かれました。しかし1945年(昭和20年)の終戦後はこれらの活動は行われなくなり、戦後の部落解放運動は新たな枠組みへと引き継がれていきます。
「五箇条の御誓文」は、明治天皇が天地神明に誓う形式で公卿・諸侯に示した明治政府の基本方針であり、正式名称は「御誓文」といいます。広く議論を尽くし、知識を世界に求めるという理念を掲げたこの文書を国民融和の象徴に選んだことに、当時の政府・民間双方の強い意志がうかがえます。
制定から95年が経った現在、記念日としての「国民融和日」を知る人は少ない。
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