チベット民族蜂起記念日 (記念日 3月10日)
1959年3月10日、チベットの首都ラサで中国共産党政府の支配に反発したチベット人による民衆蜂起が起きました。
1950年代、チベットは中華人民共和国による軍事的圧力のもとに置かれ、1951年には「チベットの平和的解放に関する17か条協定」の署名を強いられました。その後も中国共産党による社会主義化政策が推し進められ、チベットの伝統的な宗教・文化・統治体制は急速に侵食されていきました。こうした状況への反発が積み重なり、1959年3月10日、チベット人による大規模な蜂起へと至ります。
蜂起のきっかけとなったのは、中国側がダライ・ラマ14世に対して護衛なしの出頭を求めたことでした。この異例な条件を知ったラサ市民は、ダライ・ラマの身の安全を守ろうと、滞在先のノルブリンカ宮殿に集結しました。中国軍との緊張が高まるなか、ダライ・ラマは市民との衝突を避けるため、3月17日に密かにチベットを脱出。ヒマラヤを越えてインドに亡命し、3月30日に国境に到達しました。
その後、ダライ・ラマはインド政府の庇護のもと、1960年3月10日にヒマーチャル・プラデーシュ州のダラムサラにチベット亡命政権(ガンデンポタン)を本格的に樹立しました。中国軍はラサの蜂起を武力で鎮圧し、チベット全土の直接統治を強化。多くのチベット人が弾圧を逃れてヒマラヤを越え、インドや周辺諸国へ亡命しました。
2008年3月10日には、チベット民族蜂起49周年にあたるこの日を機に、チベット全土および世界各地で大規模な非暴力デモが行われました。この出来事もまた、3月10日が持つ意味をあらためて世界に示すものとなりました。現在も毎年この日には、インド・北アメリカ・ヨーロッパ・日本など、世界各地の亡命チベット人コミュニティが中心となり記念行事を開催しています。