亡羊忌 (記念日 3月2日)

亡羊忌

「現代詩の一頂点」——そう評したのは、大正・昭和期の詩人・室生犀星でした。村野四郎が1960年(昭和35年)に刊行した詩集『亡羊記』は読売文学賞を受賞し、日本現代詩の到達点のひとつとして高く評価されました。「亡羊忌」の名はこの代表作に由来します。村野は1901年(明治34年)10月7日、現在の東京都府中市に生まれ、兄は北原白秋門下の歌人・村野次郎という文学的な環境の中で育ちました。慶應義塾大学理財科(現:経済学部)を卒業後、詩の世界へと進みます。

ドイツ近代詩、とりわけリルケやベンらの影響を受け、感傷を排した冷静な観察眼と、事物の客観的な美を追求する独自のスタイルを確立しました。1926年(大正15年)の詩集『罠』でデビュー。詩論においても「知的構成」を重視し、主観的な叙情よりも物の形や動きを精緻に描写することを旨としました。

1939年(昭和14年)に発表した『体操詩集』が詩壇の注目を集めます。走り幅跳び・円盤投げ・棒高跳びといった競技の瞬間を言語で切り取った詩に、1936年ベルリンオリンピックの写真を組み合わせるという斬新な構成は、視覚と言語を融合させた先鋭的な試みとして今日でも高く評価されています。また、「亡羊」とは「失われた羊」を意味し、迷いや喪失の感覚を静かに詩語に落とし込んだ表題でもあります。戦後も詩集『実在の岸辺』『蒼白な紀行』、評論『今日の詩論』などを著し、日本現代詩人会会長として詩壇を牽引しました。晩年はパーキンソン病に苦しみながらも創作への意欲を保ち続けましたが、間質性肺炎を併発し、1975年(昭和50年)2月28日、73歳で死去しました。