等伯忌 (記念日 2月24日)
霧の中に立ち並ぶ松を、墨の濃淡だけで描いた『松林図屏風』(東京国立博物館蔵)。国宝に指定されたこの六曲一双の屏風絵は、日本水墨画の最高傑作として今日も語り継がれています。作者は、能登国・七尾(現:石川県七尾市)生まれの絵師・長谷川等伯(1539〜1610年)。その命日である慶長15年2月24日(新暦1610年3月19日)にちなんで、七尾市の市民団体「等伯会」が制定したのが「等伯忌」です。忌日が日本記念日協会に認定・登録されたのは、この「等伯忌」が史上初のことです。
等伯は七尾の染物業を営む長谷川家の養子として育ち、当初は「信春」と名乗りながら絵仏師として仏画や肖像画を手がけていました。30代で京都へ上洛した後、狩野派の画風を研究しながら中国南宋の画僧・牧谿(もっけい)の水墨表現に傾倒。独自の画境を切り開いていきます。千利休や豊臣秀吉に重用され、当時画壇の頂点に君臨していた狩野永徳率いる狩野派をも脅かす存在となりました。
『松林図屏風』の制作年は未詳ですが、等伯50代の作と推定されています。霧に包まれた松林を、言葉では表しにくい湿度や気配ごと閉じ込めたかのような筆致は、具体的な形象を超えた表現といえます。墨一色でここまで空間と空気を描き出せるのか、と見る者に驚きをもたらす作品です。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らとともに桃山時代を代表する画人に数えられる等伯ですが、その画業の頂点はこの一双に凝縮されているといっても過言ではないでしょう。
記念日には七尾市で講演会や作品観賞会が催され、等伯の功績と遺徳を偲ぶ場が設けられます。石川県七尾市にとって等伯は郷土が生んだ誇りであり、令和の今も市民の手で顕彰活動が続けられています。