多喜二忌 (記念日 2月20日)

多喜二忌

1933年2月20日、小林多喜二は東京・赤坂の街頭で特高警察に検挙され、わずか7時間後に築地署で死亡しました。享年29歳。遺体には拷問の痕が生々しく残されており、特高は「心臓麻痺」と説明しましたが、作家・江口渙が安田徳太郎医学博士とともに検視し、その説明を否定する記録を残しています。多喜二忌とは、この日を指す忌日です。

小林多喜二は1903年(明治36年)12月1日、現在の秋田県大館市に生まれました。小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)を卒業後、最初は志賀直哉やドストエフスキーに傾倒して小説を書き始めます。やがて労働運動・社会主義思想に接近し、プロレタリア文学運動の地方組織に参加。特高警察による1928年3月15日の大弾圧と、それに耐える党員労働者の姿を描いた『一九二八年三月十五日』(1928年)で文壇に認められ、翌1929年の『蟹工船』『不在地主』、1930年の『工場細胞』と矢継ぎ早に作品を発表しました。同年、北海道拓殖銀行を解雇され不敬罪などで入獄。1931年に日本プロレタリア作家同盟の書記長に選ばれ、同年末に日本共産党へ入党。『党生活者』(1932年)を発表しながら活動を続けましたが、翌年2月の再逮捕が最後となりました。

代表作『蟹工船』は、オホーツク海で操業するカニ漁労船の過酷な労働実態を描いた作品です。発表当時から問題作として注目されましたが、2008年前後にはリーマンショック後の雇用悪化を背景に若年労働者の間で再び広く読まれ、刊行から約80年を経て累計百万部を超えるベストセラーとなりました。拷問を行った特高警察官は戦後も刑事責任を問われることなく、この点は今日まで歴史的な問題として残されています。