鳴雪忌 (記念日 2月20日)
「何事も成行きに任す」——その境地をそのまま俳号に刻んだ人物がいます。内藤鳴雪(ないとう めいせつ)は、明治から大正にかけて活躍した俳人で、1926年(大正15年)のこの日に78歳で亡くなりました。本名は素行(もとゆき)。別号の「老梅居」から「老梅忌」とも呼ばれます。
1847年(弘化4年)5月29日、江戸の松山藩邸(現・東京都港区)に生まれた鳴雪は、幼少期から和漢の学を深く修めました。文部省に勤務した後、明治24年に退官して常盤会寄宿舎の監督に就任。ここで正岡子規と出会い、20歳年下の子規に導かれる形で、40代半ばにして俳句の道に入ります。官僚として半生を送った後に始めた俳句でしたが、亡くなる直前まで約35年間、句作に打ち込み続けました。子規が結核で34歳の若さで没した後も、その精神を受け継ぎながら現役を貫き、78歳の最晩年まで選者・指導者として活動し続けたことは、俳句史の中でも際立った軌跡です。
鳴雪の句風を語るうえで欠かせないのが「平明温雅」という言葉です。難解な表現や奇をてらった着想を避け、古典的な描写の中に静かな品格を漂わせる作風は、和漢の素養を長年積み重ねた鳴雪だからこそ生み出せたものでした。正岡子規はその句を「高華」と評しています。高く身を持しながらも常に明るく、気負いのない姿勢が句の隅々に滲む——子規がそこに見出したのは、技巧を超えた人格そのものだったかもしれません。新聞・雑誌の選者として初学者の指導に積極的に関わり、「新俳句」の普及を担ったことから、日本派俳句の長老として広く敬われました。
著作は多彩です。
『鳴雪俳話』は俳句論と自身の句作体験をまとめたもので、明治期の俳壇の空気を伝える資料としても読まれています。『鳴雪自叙伝』は幕末の江戸から明治・大正を生き抜いた人物の証言として、俳句史にとどまらない歴史的価値を持ちます。そして『鳴雪俳句集』には、平明でありながら奥行きのある句が収められており、没後も読み継がれています。俳号の由来となった「成行きに任す」という姿勢は、こうした著作群にも一貫して流れており、自己主張よりも対象への静かな眼差しを優先する鳴雪の美学を体現しています。
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