兼好忌 (記念日 2月15日)
「つれづれなるままに、ひぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」——中学校の教科書で誰もが一度は読んだこの冒頭文を書き残したのが、兼好法師こと吉田兼好です。1350年(正平5年)の2月28日は、その兼好の忌日とされています。ただし忌日については古来から諸説があり、1352年(正平7年)にはまだ存命だったという記録も残るため、確定した事実とは言えません。兼好の本名は卜部兼好(うらべ かねよし)。卜部家は代々、京都の吉田神社で神官を務めた家柄であり、「吉田兼好」という呼び名は本人が名乗ったわけではなく、子孫が吉田姓を称するようになって江戸時代以降に広まった通称です。中学校の検定済み教科書がすべて「兼好法師」と表記するのは、こうした経緯を踏まえた判断といえます。
1283年(弘安6年)頃に生まれた兼好は、若くして後二条天皇に仕え、歌人としても当時の「和歌四天王」に数えられるほどの腕前を持っていました。しかし中流貴族の出身であったため出世は限られ、後二条天皇の崩御をきっかけに宮廷を離れ、30歳前後で出家します。出家後は各地の草庵を転々とし、仁和寺の近くに住んでいた時期もあったとされます。『徒然草』に仁和寺の僧が登場するユーモラスな段が複数あるのは、その縁によるものでしょう。
『徒然草』は244段から成る随筆で、書かれた時期は14世紀前半と推定されます。死生観、無常観、自然への愛着、人間の滑稽さ——扱うテーマは多岐にわたり、鋭い人間観察と軽妙な文体が混在しています。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とともに日本三大随筆と称され、700年近く読み継がれてきました。私家集『兼好法師家集』も残されており、歌人としての側面も確かに存在します。
現代語訳や解説本が後を絶たないことからも分かるように、『徒然草』は今も多くの人に読まれています。忌日が確定しないほど謎多き人物でありながら、その言葉だけは時代を超えて残り続けています。