観劇の日 (記念日 2月10日)
「今日は帝劇、明日は三越」——明治末から大正にかけて、こんな宣伝文句が東京の街で流行しました。帝劇とは帝国劇場のことで、三越は現在も丸の内と日本橋で営業を続ける老舗百貨店です。消費文化が花開く時代に、劇場とデパートが並び称されたこの言葉は、当時の都市生活者が抱いた「モダンであること」への憧れそのものを映し出していました。
1911年(明治44年)2月1日、東京都千代田区丸の内三丁目に帝国劇場が完成しました。設計を手がけたのは、アメリカで鉄骨構造を学んだ建築家・横河民輔です。それまでの劇場は木造が当たり前でしたが、帝国劇場は白煉瓦の外壁に石とコンクリートを組み合わせたルネサンス建築様式の堅牢な建物でした。鉄骨材は国内では調達しきれず、イギリスから輸入したという逸話も残っています。開館式典は同年3月1日に行われ、「日本初の純洋式劇場」として華々しくその幕を開けました。
発起人には伊藤博文や渋沢栄一といった財界・政界の重鎮が名を連ね、資金面でも大倉喜八郎が中心的な役割を担いました。劇場の内部も革新的で、客席をすべて椅子席とし、切符の前売り制度や時間割興行を導入しました。それまでの歌舞伎小屋の慣習を廃し、「近代的な劇場経営」を実践した点でも、帝国劇場は画期的な存在でした。
上演内容もまた多彩を極めました。1912年(大正元年)から1916年(大正5年)にかけては、イタリア人音楽家ジョバンニ・ヴィットーリオ・ローシーを招聘し、本格的なオペラやバレエを上演しました。国内で初めての創作オペラが舞台に乗ったのもこの時期のことです。一方で六代目尾上梅幸・七代目松本幸四郎・七代目澤村宗十郎ら当代一流の歌舞伎俳優が専属として名を連ね、歌舞伎やシェイクスピア劇なども上演されました。洋の東西を問わない演目の豊かさが、帝国劇場を「文化の殿堂」として定着させていきました。
1923年の関東大震災では火災に見舞われ甚大な被害を受けましたが、翌1924年には骨格を活かしたまま改修を終えて再開場を果たしました。その後も太平洋戦争の混乱期を乗り越え、1966年には現在の建物に建て替えられました。そして2025年2月、再び建て替えのために休館。100年を超えて日本の演劇・ミュージカル文化を牽引し続けてきた帝国劇場は、新たな姿で甦ることが予定されています。
「観劇の日」は、帝国劇場の完成を記念して制定されました。洋風建築の劇場が丸の内に屹立したあの日から、日本の舞台芸術は大きく変わりました。木造の芝居小屋から石とコンクリートの劇場へ——その変化は単なる建築様式の更新ではなく、文化を享受する場そのものが近代化した瞬間でもありました。