節忌 (記念日 2月8日)

節忌

茨城県南西部の農村に生まれた長塚節(ながつか たかし)は、1910年に小説『土』を『東京朝日新聞』に連載し、日本の農民文学に先鞭をつけた作家です。1915年(大正4年)2月8日、喉頭結核により35歳で死去しました。この日が「節忌(たかしき)」として知られています。連載終了後、長塚は喉頭結核を発病します。東京・福岡などの病院を転々としながら治療を続けましたが、病状は改善せず、大正4年2月8日に35歳で死去しました。写生文『佐渡ヶ島』や短編『芋掘り』なども残しており、短歌・小説の両面で明治末から大正初期の文学に足跡を刻んでいます。

長塚節は1879年(明治12年)4月3日、茨城県岡田郡国生村(現:常総市国生(こっしょう))の豪農の長男として生まれました。病弱のため中学を中退し、療養生活の中で短歌に親しむようになります。1900年(明治33年)ごろ、正岡子規の『歌よみに与ふる書』に深い感銘を受け、子規に入門。写生の精神を根幹に置く短歌の修練を積みました。子規は長塚節を、伊藤左千夫とともに自らの後継者として高く評価していました。

1902年(明治35年)に子規が没した後、長塚は短歌雑誌『アララギ』の同人として活動を続けます。万葉集の調べを基盤にした写生歌を詠み、「冴え」の境地を追求しました。歌集『鍼の如く』に収められた232首の連作は、1914年(大正3年)に『アララギ』誌上で発表されており、彼の短歌の到達点を示す作品群として位置づけられています。

散文の分野でも重要な仕事を残しています。小説『土』は、郷里の農村を舞台に小作農・勘次一家の暮らしと四季の移ろいを描いた長編で、1910年(明治43年)6月から11月にかけて連載されました。夏目漱石の推挙によって実現したこの連載で、長塚は農民の生活の細部を精密に書き記しています。漱石自身は「あまりに詳細過ぎて、話の筋を往々にして殺してしまう」と評するほどの写実性であり、当時の農村の実態を記録した文学として高く評価されています。