北方領土の日 (記念日 2月7日)
1855年(安政元年)、江戸幕府と帝政ロシアが伊豆の下田で結んだ条約によって、北方四島は日本の領土として国際的に認められました。この「日露和親条約」の締結日(新暦)である2月7日が「北方領土の日」の由来です。正式名称は「日本国魯西亜国通好条約」で、「下田条約」「日魯通好条約」とも呼ばれています。
北方領土とは、択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島の4島を指します。最大の択捉島は面積約3,167平方キロメートルで鳥取県とほぼ同じ大きさ、国後島は約1,489平方キロメートルで4島合計は約5,000平方キロメートルにのぼります。終戦時には4島合計で約1万7,000人の日本人が暮らしていましたが、現在は一人も住んでいません。第二次世界大戦末期の1945年8月にソ連軍が占領して以来、現在に至るまでロシア連邦が実効支配を続けており、近年は択捉島・国後島への地対艦ミサイル配備など軍事施設の整備も進んでいます。
返還を求める運動は終戦直後から始まりました。1945年12月、根室町長(当時)が連合軍最高司令官マッカーサー元帥あてに陳情書を提出したのが運動の起点とされています。その後、青年・婦人・労働団体が「北方領土の日」の制定を求める決議を相次いで行い、1980年(昭和55年)には衆参両院が全会一致で関連決議を可決。翌1981年(昭和56年)1月、政府が閣議で2月7日を「北方領土の日」とすることを正式に決定しました。
毎年この日を中心に、東京では「北方領土返還要求全国大会」が開催されます。全国各地でも講演会・研修会・パネル展・署名活動など幅広い取り組みが続けられています。条約締結から170年以上が経過した現在も、4島の返還は実現していません。