句仏忌 (記念日 2月6日)
「句仏(くぶつ)」という俳号を持つ法主が、生涯に約2万句を詠んだ——仏教界と俳壇という二つの世界を生きた人物の忌日が、2月6日の句仏忌です。東本願寺第23代法主・大谷光演(おおたに こうえん)は1943年(昭和18年)2月6日に68歳で没しました。法主という最高位の宗教者でありながら、近代俳句の黎明期を担った俳人たちと肩を並べた稀有な存在です。
1875年(明治8年)2月27日、京都市に生まれた光演は、第22代法主・大谷光瑩(法名「現如」)の次男でした。法名は「彰如(しょうにょ)」。10歳という若さで得度し、出家の道に入ります。上京後は南条文雄・村上専精・井上円了らに仏教学を師事する一方、幸野楳嶺や竹内栖鳳のもとで日本画を学びました。明治の京都画壇を代表する竹内栖鳳に絵を学んだという事実は、光演の芸術的な素養の幅広さを示しています。
俳句との出会いは正岡子規の影響によるものです。『ホトトギス』誌を通じて河東碧梧桐・高浜虚子に選評を受け、彼らを師と仰ぎました。寺院の法主が近代俳句の旗手たちと交流し、同じ誌面に句を並べた光景は、当時としても異色だったはずです。やがて光演は『ホトトギス』の流儀から距離を置き、独自の境地へ進みます。東本願寺の法務を担いながら詠み続けた句は、生涯で約2万句に達しました。句集『夢の跡』『我は我』『句仏句集』にその軌跡が残されています。「句仏」という俳号自体、仏と俳句を一身に体現した彼の在り方をそのまま示しています。
季語としての「句仏忌」は初春に分類されます。新年の気配が残る2月に、宗教と文学を横断した異才の命日があることは、その俳号の響きとともに句の素材として俳人たちに受け継がれています。