氷柱忌 (記念日 1月31日)
1978年(昭和53年)、北海道歌志内市出身の作家・高橋揆一郎(たかはし きいちろう)が「伸予」で芥川賞を受賞したとき、北海道に住み続けたまま文学の最高峰に立った作家として注目を集めました。東京の文壇に出ていくのではなく、炭鉱の町・歌志内に根を張り、生活者の声を書き続けた姿勢は、受賞後も変わりませんでした。その揆一郎が2007年(平成19年)に78歳で逝去したことを悼む忌日が「氷柱忌(つらら忌)」です。
「氷柱忌」という名称は、三回忌にあたる2009年(平成21年)に市民有志の実行委員会が命名しました。その時節(2月)の厳冬の情景と、代表作のひとつ『氷かんざし』の題名とを重ねた呼び名です。毎年この日には揆一郎を偲ぶ集いが催され、歌志内市内の郷土館「ゆめつむぎ」では「氷柱忌」の展示コーナーが設けられています。
揆一郎は1928年(昭和3年)4月10日、歌志内市に生まれました。本名は良雄(よしお)。住友石炭鉱業に入社して社内報の編集に携わり、退社後は同人誌『くりま』に加わって執筆に専念します。1973年(昭和48年)、「ぽぷらと軍神」で文学界新人賞を受賞してデビュー。1977年には「観音力疾走」が北海道新聞文学賞を受賞し、芥川賞候補にもなりました。翌1978年、「伸予」で北海道在住の作家として初めて芥川賞を受賞します。炭鉱労働者やその家族といった名もなき人々の暮らしを温かく、しかし鋭く描いた作品群は、高度経済成長の影に埋もれがちだった北海道の現実を記録するものでもありました。新田次郎文学賞を受けた自伝的作品『友子』にも、その姿勢は貫かれています。歌志内公園の一角には揆一郎の文学碑が建立されており、今もその存在を伝えています。
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