孝明天皇祭 (記念日 1月30日)
孝明天皇が崩御されたのは1867年1月30日、慶応2年12月25日のことです。御年36歳という若さでした。天然痘を患われたとされていますが、その死はあまりにも突然であり、当時から「毒殺ではないか」という疑惑が絶えませんでした。崩御からわずか1年余りで、265年続いた江戸幕府が倒れ、明治維新が訪れたことを思えば、孝明天皇の死が日本史の大きな転換点の一つであったことは間違いありません。
孝明天皇は1831年7月22日(天保2年6月14日)、仁孝天皇の第四皇子として誕生し、煕宮(ひろのみや)と命名されました。諱は統仁(おさひと)。17歳で即位し、以後21年にわたって在位されました。在位中は、黒船来航に象徴される開国の圧力と、攘夷運動が激しく衝突した時代です。天皇ご自身は強固な攘夷論者であり、幕府に対して開国・和親条約への反対の意を示し続けました。明治天皇の父にあたります。崩御の翌年、御子の明治天皇が16歳で即位されました。1874年(明治7年)、孝明天皇の命日である1月30日は「孝明天皇祭」として国の祭日に定められます。これは明治政府が天皇の権威を国家の中心に据えようとした施策の一つでもあります。祭日として実施されたのは1912年(明治45年)までの約38年間。同年7月30日に明治天皇が崩御されたのを機に、孝明天皇祭は祭日の地位を失い、代わって「明治天皇祭」が制定されました。
現在では「孝明天皇例祭」として宮中祭祀の主要な祭儀の一つとなっています。この日、皇居にある宮中三殿の一つ「皇霊殿」と、天皇の陵所(みささぎ)において祭典が執り行われます。夜には御神楽も奉納されます。皇霊殿は歴代天皇・皇后・皇族の御霊を祀る場所であり、一般には非公開の空間です。孝明天皇の御陵「後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのやまのみささぎ)」は京都市東山区にあり、明治天皇陵と並ぶように位置しています。