葦平忌 (記念日 1月24日)

葦平忌

「芥川賞の知らせを陣中で受けた」という事実が、火野葦平という作家の数奇な運命を象徴しています。

1907年(明治40年)1月25日、福岡県遠賀郡若松町(現:北九州市若松区)に生まれた火野葦平、本名・玉井勝則は、日中戦争の応召前に書き上げた『糞尿譚』を同人雑誌に発表しました。1937年(昭和12年)、その作品が第6回芥川賞を受賞。しかし受賞の報を彼は戦地で受け取ることになりました。

従軍中に書いた『麦と兵隊』(1938年)は瞬く間に読者の心をつかみ、続く『土と兵隊』『花と兵隊』とあわせた「兵隊三部作」は合計300万部を超えるベストセラーとなりました。銃後の国民が戦争の行方に強い関心を寄せていた時代にあって、兵士の目線で綴られたこれらの作品は熱狂的に受け入れられ、葦平は時代の寵児として一躍名を馳せました。しかしその名声は、同時に「戦争文学の旗手」という烙印でもありました。

敗戦後、葦平は深い自責と贖罪の念を抱えながらも、執筆の手を止めませんでした。戦後には『革命前後』をはじめ、故郷の若松を舞台にした『花と龍』など多彩な作品を発表し、1952年(昭和27年)には毎日出版文化賞を受賞するなど、戦後文壇においても旺盛な創作活動を続けました。しかし、戦争協力への苦悩は晩年まで彼の内側を蝕み続けていたとされています。

1960年(昭和35年)1月24日、火野葦平は52歳の若さで自ら命を絶ちました。翌年の誕生日を目前に控えた、静かな最期でした。葦平忌はその忌日にあたります。戦前と戦後をまたいだ作家人生の中で彼が残した言葉と葛藤は、日本近代文学史の一断面として今も静かに問いかけを続けています。

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