羅山忌 (記念日 1月23日)
4代の将軍に仕え、江戸幕府の知の礎を築いた儒学者・林羅山(はやし らざん)の忌日です。
1583年(天正11年)、京都・四条新町に生まれた羅山は、名を信勝(のぶかつ)、字を子信(ししん)、通称を又三郎といいました。別号の道春(どうしゅん)の名でも広く知られています。若くして朱子学を藤原惺窩(ふじわら せいか)に学んだ羅山は、その卓越した学識によって徳川家康の目に留まり、1605年(慶長10年)に仕官します。以後、家康・秀忠・家光・家綱と、4代の将軍に侍講(じこう)として学問を講じ続けました。一人の儒学者が半世紀にわたって政権中枢に関わり続けたこの事実は、羅山の学識と政治的な信頼がいかに絶大なものであったかを物語っています。
羅山の功績は学問の講義にとどまりません。3代将軍・家光から江戸・上野忍岡(しのぶがおか)に土地を賜ると、私塾・文庫・孔子廟を建立しました。この私塾から多くの優秀な門人が育ち、のちに幕府直営の教育機関「昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)」へと発展していきます。さらに羅山の子孫である林家は「大学頭(だいがくのかみ)」として昌平坂学問所を代々管理・運営し、江戸の学問行政を支え続けました。現代でいえば、文部科学大臣に相当するような地位を一族が世襲したとも言えるでしょう。
羅山はまた、法令整備の面でも江戸幕府に貢献しました。武家諸法度や禁中並公家諸法度など、幕藩体制の根幹をなす法令の起草にも携わったとされており、単なる思想家にとどまらない実務家としての顔も持ち合わせていました。著書は膨大で、歴史・神道・詩文など多岐にわたる分野で業績を残しています。
1657年(明暦3年)1月23日、羅山は75歳でその生涯を閉じました。皮肉なことに、この年は江戸の大半を焼き尽くした「明暦の大火」が起きた年でもあります。羅山が丹精込めて建てた上野忍岡の孔子廟もこの火災で焼失し、学問所はのちに湯島へ移転することになりました。しかし羅山が播いた朱子学の種は、昌平坂学問所という形で江戸時代を通じて実り続け、日本の近世思想・教育の根を深く下支えしました。